eスポーツという言葉が子供の一生を破壊する
最近のニュースで、藤井聡太さんが高校を中退する報道がありました。将棋一本に打ち込むためでしょうけど、既にトップの仲間入りしている時点ですから何の心配もないですが、一方で最近「eスポーツ」という言葉がもてはやされてきています。
子を持つ親御さんはこんな心配が頭をよぎったことはないでしょうか。
もしも子供が「僕はeスポーツの選手になるために学校を辞めたい」と言い出したら。
ゲームが遊びと同義であれば勉強の方が大事と言い切ってもいいでしょうけど、職業訓練だと言われたらどうやって反論すべきか…。もちろん親の指導権として問答無用でそんな職業は認めないと切り捨てることもできますが、親子の軋轢にはしたくない。eスポーツという言葉が出現したせいでどうやって子供に納得させられるかが難しくなったわけです。
楽しいゲームを罪悪感なくプレイしたい気持ちはわかるんです。マコだっていまだにゲームは大好きですし、子供の頃は親に隠れてゲームセンターにも行ってました。マコが子供のころは「ゲームは不良の遊び」というレッテルが貼られてて、そんな中でゲームセンターに行くには罪悪感がありました。ましてや女の子が一人で行くなんてとんでもないという風潮でしたからね。
今は時代も変わってそんな偏見も無くなったわけですが、じゃあゲームを職業にするのも罪悪感さえなくなればアリじゃないか?と言われるとちょっと違うかなという点があります。
「プロ」と「アマ」の違いはプロはそれによって生計を立てているということです。
マコが子供のころにも「高橋名人」というプロゲーマーがいましたが、あの人はゲーム雑誌の執筆などもしていましたので、ただゲームをしていればお金が入ってくるというのとは違う姿でした。つまり昔のプロゲーマーは生み出すものがあってそれが収入源でしたが、今のプロゲーマーはスポンサーの出資金を上位者で山分けする構造になっているので、広告塔としての価値を認められない限り役に立たないのです。
では野球やサッカーといったスポーツとはどう違うか…ですが、プロになり損なうと広告塔の価値はゼロになりますが基礎体力の向上は本人の健康にとってもプラスだし、その他の肉体労働にも生かすことができるので無駄になりません。「保健体育」という勉強の成績が良かったと考えることができます。
ゲームの場合、広告塔の役割以外に役に立つことが見当たらないんですよね。
「優勝者でもない人のゲームプレイをわざわざお金を払って見ますか?」ということです。
eスポーツ文化が進んでいけば「コーチ」という職業が考えられますが、真っ先に優勝経験者で埋まりますので予選脱落者が目指せる職業ではありません。
またタチが悪いのは、ゲームには依存性があってハマると抜けられなくなる危険があるということです。精神科の医師がこのように述べています。
プロになるのは挑戦者の1%にも満たないでしょう。残りの99%のうち、勉強を捨てて挑戦してプロになりそこなった子供がどうなるのか心配です。題名に書いたような言葉が実際に広く言われるような社会問題になるかもしれません。昔は「ゲームは不良の遊び」と言われたように将来「eスポーツは未成年はダメ」となるかもしれません。
失敗したら本人の責任と言うかもしれませんが、脱落者は自立能力が期待できないので結局周りの人が支えるしかないのです。
さて、もしも子供が…の部分に戻りますが、親の側が言うとしたら考えられるセリフは…
①「ゲーム以外何もできない人間になるのは絶対にダメ」
②「あなたの将来のためを思って言ってるのよ」
③「やるんだったら自立して生計を立ててやりなさい」
④「知識を要するゲームが出てきたら太刀打ちできなくなるよ」
⑤「ふつうに勉強して就職すれば生涯1億円くらいは稼げるんだよ」
①はストレートな理由だけどこれで引き下がる子供ならこんなトンデモないことは言わないでしょうね。②は絶対に子供が言うことを聞かない典型的な親の一言。親として一番困るのは一生引きこもりの面倒を見ること。③は失敗してもその後の面倒は見ないという宣言だけど、現実問題こういう子供は失敗しても親が最後は助けてくれるという甘えがあるはず。④⑤は打算的に現実を考えさせる作戦です。
さて、ここまで言っていまさらだけど…実はマコには子供がいません(笑)
この話は実際にそういう人がマコの身近にいるわけじゃないけど、こういう子供がいたら社会問題になるなと思ったので独り言を言ってみました。
あくまで独り言です!
eスポーツの協会みたいなのがまだ未成熟なのか、そういう事態を防止する取り組みみたいなのは見えてきませんが、ネプリーグみたいなゲームを競技にすれば勉強を無視できなくなるんだけどねー。
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